【国産珍車】過去に存在した世にも珍しいメーカー別珍車をご紹介!

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マニア度MAXな国産珍車達、マイナー過ぎて個性たっぷりです

コンセプトが何処かおかしい、変だぞ、それでいいのかと懐疑心を抱くクルマ。

おかしいを通り越して、破天荒なクルマもあります。

そんな事していいの?こっちが心配してしまいます。

これでいいのだ!そんな鼻息荒いメーカーが送り出したクルマ達です。

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いすゞの珍車:エルフ・マイパック

引用:https://www.isuzu.co.jp/museum/elf/index.html

公式ホームページに画像があって良かったです。

本当ににそう思ってしまうほどの珍車なのが、このエルフ・マイパックです。

FF方式を採用し、床面地上高45cmのエルフマイパック。

国産初のFFトラックとしてデビューした、エルフの歴史の中でも画期的なモデルなのです。

マイパックの開発にあたり、アルファロメオとサヴィエムが共同開発したトラックを参考にしました。

実車まで購入したと言うのですから、さぞかし大いに参考にしたんでしょうね。

それは、部品寸法レベルでコピーが行われたという事からも、伺われます。

先述したように、45cmという、超・低床仕様であったので、キャビン以降の部分の自由度は高くなりました。

そこで、リフトデッキ、ボトルキャリア等と言った、ユニークな架装仕様が用意されました。

手元にある資料では、色々な架装を想定したイラストが描かれています。

冷静に眺めてると、それ必要ですか?と問いたくなる架装もあります。

何処かがおかしいのですが、もちろん、至って真面目に考えたラインナップです。

最大積載量は1.75トン積みで、エンジンはガソリンとディーゼルの2種類が用意されました。

これは、他の標準型のエルフと同じ仕様です。

ディーゼルは水冷直列4気筒2369ccのC240型(最高出力74ps)と定番のものです。

フルシンクロの4速トランスミッションと組み合わされ、フロントを駆動しました。

画期的ではありましたが、大きくキャビンに入り込むエンジンルームの為、騒音を酷かったそうです。

あまりに特異過ぎたのか、販売も不調に終わりました。

尚、イスズ藤沢工場には、見事にレストアされ、動態保存されている個体があります。

それだけ、イスズにとっては画期的で大切な一台なのでしょうね。

その後のいすゞの技術の発展には大きく貢献したのでしょう。

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日野の珍車:コンテッサ1300クーペL

引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hino_Contessa_1300_Coupe.jpg
Rikita [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)]

4ドアセダンに続いて、1965年にデビューしたのが、日野コンテッサクーペです。

セダンと同じく、ミケロッティによるデザインは流麗で、世界的にも評価が高いです。

日野自動車は、当時モータースポーツにも積極的で、プロトタイプを開発し日本グランプリにも挑みます。

その熱の入り様は、DOHCエンジンを自社で開発する程です。

そのDOHCエンジンを搭載したコンテッサクーペは、発進加速時にウィリー紛いの姿勢で加速したと聞きます。

そして、その試作車は、今もまだ個人オーナーの元で大事にされているのです。

手元にある、約40年以上前の専門誌にも、そのコンテッサのレポート記事があります。

今後も大事に温存される事を願いたいです。

今回は珍車という事で旧車でもメジャーな存在のコンテッサクーペが、そうというわけではありません。

モータースポーツに熱心な日野自動車がスポットでわずか20台だけ生産した特別なクーペの紹介です。

しかも、それはトヨタとの提携が決まった直後に製造されました。

サーキットでは、トヨタの監視も厳しく、ワークス体制は禁じられていました。

そんな状況の中で日野は最後の意地を見せ、世に送り出したクルマがあります。

その名は「L」コンテッサクーペLと言うモデルが存在したのです。

外観は標準のクーペとは見分けがつかないのですが、使用した鋼板が薄くされていたのです。

また、フロント以外のウィンドガラスも薄手のものに変更されていたと聞いた事があります。

その生産の背景には様々な人間関係が絡むのですが、今回はシンプルにクルマの紹介だけに留めます。

それは1966年のある一定期間の間、一般のボディ生産ラインを止めて製造されました。

止めた理由は、然るべき部分の鉄板を0.9mmから0.7mmへ変更する軽量化の目的があったのです。

また、軽量化するにあたっての艤装もあったからと聞きます。

そうして製造された軽量ボディには左ハンドル車も含まれていました。

驚く事に、この「L」には4ページからなるカタログも用意されました。

密かに製造された20台の特別なクーペは標準エンジンやDOHCエンジンを搭載し、工場を後にしました。

そして、現在、2台のクーペLが元気にサーキットを走っています。

筆者も数度、そのうちの1台の実車の走りを見た事があるのです。

とても素晴らしいコンディションで、走る姿も美しかったですね。

そして、もう1台、現存車があります。

それは、現役当時、日野のワークスチームとも言える、塩沢商工に渡った4台の内の1台です。

塩沢商工はDEL(デル)という名でレースに参加していました。

そのDELという名前には、実は意味がありません。

外国人でも発音しやすいのが、この「DEL」という綴りだからという理由だけなのです。

そのデルブランドで製造されたのが、このLにセンチュリーのV8を搭載したモデルです。

それは正にGT的な内容で、デル・ダンディーツーリングと名付けられました。

長年放置された状態だったのですが、近年レストアされ、エンジンはノーマルの4気筒に換装されています。

Lの存在を後年に残す重要な1台として大事にされています。

提携先とは、本来は大人の対応をしないといけないのに、意地があったのでしょうね。

普通だと、それはおかしいと問い詰められるところです。

珍車とは、何も変なクルマばかりではなく、どこかロマンすら感じられるクルマもあるのです。

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ミツビシの珍車:ランサー6

1991年に登場したのが4代目ランサーです。

1.3Lから2Lのガソリンターボ、及びディーゼルターボまで揃えるワイドバリエーションでした。

その中に一つ、珍なるエンジンの存在がありました。

その名は「6A10」世界最小の1.6L V6エンジンなのです。

スペックは、排気量 1597 cc、ボア 73.0 mm、ストローク 63.6 mmで、140馬力を発生しました。

その発生回転は7000rpmと、小型多気筒らしい高回転型でありました。

しかし、低速でも2000rpm以上なら、トルクフルで乗り易いと当時の記事にあります。

実は1.6Lで6気筒という括りだと、英国のトライアンフ・ビテスという存在があります。

こちらは直列6気筒でした。

話を戻しましょう。

この6A10を搭載したのは、ランサーとミラージュで、それぞれ、ランサー6、ミラージュ6とされました。

売りは豪華な装備と世界最小のV6搭載です。

どうしても技術をアピールしたいミツビシの意気込みが凄いですね。

コンセプト的には多気筒化で、上級モデルとして君臨させたかったのでしょうか。

しかし、大衆車クラスに、そんな儲からないエンジンを搭載するのも、何かおかしい気がします。

そんなランサー6の影に、泣かずには居られないクルマの存在がありました。

それがユーノス・プレッソです。

同じ1991年の6月にデビューしたのがプレッソの売りは「世界最小V6エンジン搭載」でした。

その排気量は1.8Lでした。

そして、その年の10月に「世界最小V6搭載」で、登場したのが、このランサー6とミラージュ6なのです。

珍車同士の熱い戦いだったのです。

しかし、このランサー6も、次の5代目で1.8L化されてしまいます。

この時代、各メーカーには、まだまだ無駄に余力があったので、賑やかだったのです。

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マツダスピードの珍車:ファミリア

どこかで見たことのあるような。。。違います、マツダ・ファミリアです、ファミリアの珍車です。

それにしても、あの青く、大きな羽根の生えたクルマに良く似ていますよね。

ホイールまでゴールド・・・なんです。

それはさておき、1998年にデビューした9代目ファミリアをベースとしたスポーツモデルです。

セダンタイプのスポーティーバージョンとして、2001年5月に100台限定で発売された限定車なのです。

この9代目のスポーツモデルと言えば、ファミリアSーワゴン・スポルト20の方がまだメジャーな存在です。

その Sーワゴン・スポルト20のエンジンをベースにマツダスピードがチューンを施し、セダンに搭載したのです。

その内容がマニアックで、ホンダのインテRも顔負けです。

ハイカム、ハイコンプピストン、ポート研磨、ピストンのクリアランス最適化、ステンレス製エキゾーストマニホールド、専用低排圧サイレンサー装着で175馬力を発生し、まるでちょっとしたレース仕様です。

ただし、ちょっとヤリ過ぎたのか、アイドリングがラフになり、一部で不評となるのです。

なんか、カッコいい気がしますね、メーカーがヤリ過ぎて市販車のエンジンがピーキーになったんです。

ですが、不満を抱くユーザーには、無償でマイルドなカムシャフトに交換する事になりました。

このエピソードは珍車にふさわしいです。

外観は、スポルト20用のエアロパーツを基本的にはそのまま装着いています。

リアバンパーは大型の北米仕様のバンパーを装着していました。

足回りは専用のダンパーと大径のスタビライザーで強化、205/45R17の大径タイヤも標準装着です。

ブレーキは、15インチローターと強化され、チューンされた足とパワーアップに見合ったものになっています。

そんな素晴らしい内容を持ちながら、販売台数も少なかったせいで、話題にもあまり上りません。

珍車で検索しても、あまりヒットもしません。

だから、もっと珍車色を強めて欲しい1台です。

マツダは、市販車でも、本気でやれば、アイドリングが不安定になるぐらいのチューニングを施すのです。

おかしい話ですよね、メーカー自らが、基準からかけ離れた品質のクルマを販売するんですから。

レシプロエンジンでも、素晴らしい技術を持つマツダだからこそ出来たのですが、少々やり過ぎましたね。

マツダスピードの珍プレーまで付いてくる珍車のお話でした。

トヨタの珍車:2000GT(2300GT)

引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:1969_Toyota_2000GT_01.jpg
Mytho88 [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/)]

引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Toyota_2000gt_2m_engine.jpg
User:Blueck [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)]

名車の間違いじゃないかとお叱りをうけそうですが、名車の中に珍車ありです。

言わずと知れたトヨタ2000GTですが、末期には量産も考慮され、トヨタも色々考えていたのです。

何しろハンドメイドですから赤字生産が続いていました。

そこで考えられたのが直列6気筒2253ccエンジン搭載のモデルです。

当時の北米仕様クラウンに搭載された2M型エンジンをベースにしてコストダウンを視野に入れたのです。

ツインチョークソレックスを3連奏し2MーB型としました。

まるで、L28、ソレ、タコ、デュアルのフェアレディZのようです。

しかし、メンテナンスや耐久性も考慮されたうえでの仕様ですので信頼性は高いのです。

ヘッドカバーも黒い結晶塗装がされて、2000GTに搭載しても恥ずかしくないエンジンとなっていました。

全部で10台生産されたと言われていますが、それは定かではありません。

しかし、少々おかしな事にもなってしまいます。

それは車名の事で、排気量が2300ccなら2300GTとするのが正しいはずです。

また、2300GTも正式名称ではなく、この2M-Bを搭載した仕様でもエンブレムは2000GTのままでした。

海外のミーティングでも数台並んだ画像もあるので複数台の現存はあるようです。

以前、日本にも赤い個体があったのですが、その後はどうなったのか、わかりません。

試作車特有のミステリアスな面もありながら、一般オーナーの手にも渡っている不思議なクルマです。

ニッサンの珍車:サンタナ

引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Volkswagen_Santana_GX-5.jpg
David Wright [CC BY 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/2.0)]

引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:1985_Volkswagen_Santana_GX_(4615855746).jpg
Spanish Coches [CC BY 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/2.0)]

1984年、日産自動車によってノックダウン生産が始まったのが、このサンタナです。

おかしいなと、違和感を感じるのは、その作られた年代です。

昭和30年代ならまだしも、もう昭和も終わろうかという頃の話です。

それだけでも珍車の条件を満たしてしまいそうです。

生産を受け持ったのは、日産自動車座間工場です。

1980年当時、日産は積極的に国外展開戦略を推進していました。

アルファロメオとの提携も、その一つです。

そこから生まれた、アルファロメオ・アルナも珍車であります。

そんな中、1981年に某証券会社の仲介によりフォルクスワーゲンとの提携が成立します。

しかし、その条件はサンタナのノックダウン生産のみという消極的とも言えるものでした。

フォルクスワーゲンとの全面提携は成立しなかったのです。

そして、ニッサンからドイツのクルマが生産販売される事になりました。

ですが、車両価格が魅力的なわけでもなく、見た目も地味なセダンだったので、販売は不振の一途です。

途中、ゴルフGTiと同じステアリングやスポーツシートを装着した2000Xi5アウトバーンを追加します。

それでもだめなら、今度は Xi5アウトバーンDOHCまで繰り出しますが決定打とはなりません。

足もスポーティで、いかにも上級ドイツ車という内容だったのですが、見向きもされなかったのです。

結局は7年間生産して、合計5万台程度の販売台数という散々な結果に終わりました。

しかし、日産はこのノックダウン生産で、色々なノウハウを学びました。

あのハンドリング改革でもあった、901運動もこのノックダウン生産があったからこそです。

その現存数と、そろそろ消えそうな知名度は、珍車とするのに十分な条件です。

珍車をまとめた感想

今回は珍車のご紹介でしたが、カッコ悪い、不人気なクルマだけが珍車ではありません。

最近はネットでも、そうしたクルマ達が珍車として沢山紹介されています。

その中を掻い潜って、厳選した珍車達でした。

何処かが、おかしな事になっているのですが、何か一本筋の通ったクルマばかりです。

メーカーの熱い思い、苦悩や戦略を背負った珍車だってあるのです。

その存在は、むしろ、カッコ良くもあります。

そんなちょっと一般的な珍車目線から、外し気味の珍車達の存在を知っていただきたく紹介しました。

この記事を書いた人

THUNDERBIRD
以前にガソリンスタンドや自動車中古部品販売店に働いていました。
危険物取扱者の乙四を持っています。



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