メルセデスベンツの歴史、ダイムラーベンツからクライスラーを経て、現代まで続くその血統。

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今や知らない人はいない高級車ブランド「メルセデスベンツ」、最高の車を作り続ける信頼と安全性能を併せ持つ、文句なしの一流車です。

今回はそんな誰もが知っているメルセデスベンツが、最高の車を作るまでに至った、歴史を紐解いてみたいと思います。

メルセデスベンツの歴史は、

  • ベンツ氏とダイムラー氏という2人の天才が、それぞれ開発した自動車
  • ドイツが疲弊しきった第一次世界大戦後に「ダイムラー・ベンツ」社は誕生
  • 第二次世界大戦を経て、ドイツの復興とともに世界へと羽ばたいた
  • かつては敵同士であった、アメリカのクライスラーとの合併
  • 現在に至る「ダイムラー」社、そして、「メルセデスベンツ」というブランド名に、2人の天才の名前が残る

という流れです。詳しく見ていきましょう。

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メルセデスベンツの歴史、ベンツとダイムラー、2人の天才が生み出した自動車という革命児

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引用:https://www.toyota.co.jp/Museum/collections

メルセデス・ベンツの始まりは130年以上前、1886年1月29日に、ドイツのバーデン大公国ミュールドルフ出身でエンジン設計者兼自動車技術者だったカール・ベンツと、ドイツのヴェルテンベルグ王国、ショルンドルフ出身で、内燃機関および自動車開発のパイオニアであったゴッドリープ・ダイムラーという2人の天才発明家が作った、世界初の自動車が始まりでした。

カール・ベンツは、メルセデスベンツの基盤を構築した第一人者であると同時に、原動付き三輪車「ベンツ・パテントモーターカー」開発に成功し、世界初自動車でドイツ政府から特許を取りました。

ダイムラーは1885年に二輪車に取りつけたガソリンエンジンの特許を取得し、その後世界初の四輪自動車「ダイムラー・モトールキャリッジ」を生み出しました。

ダイムラー

引用:https://www.mercedes-benz.com/en/mercedes-benz/classic/museum/daimler-motorized-carriage/

この2人こそ、それまで馬車が移動手段として一般的だった世界へ「エンジン付きの馬車」に続いて「自動車」を送り出し、革命を起こしたメルセデスの生みの親です。

カール・ベンツ、ゴッドリープ・ダイムラーは、それぞれ自動車の開発に成功していましたが、同じように開発に成功した互いのことは知らなかったと言われています。

2人の住んでいたところは、200kmほどしか離れていなかったそうです。

己の思い描くものをを一心不乱に形した2人の天才は、どこか似ていたのかもしれません。

ベンツ&シー・ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリーク社の発展

カール・ベンツの会社、ベンツ&シー・ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリーク社(ベンツ&シー社)の成長には、カール・ベンツの妻が一役買いました。

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引用:https://www.mercedes-benz.com/en/mercedes-benz/classic/museum/benz-patent-motor-car-2/

当時、売上が上がらないことを悩んでいたカール・ベンツの妻は、「この新しい車で100km走破したら、いい広告になるんじゃない?」と思い立ったのです。

それもこのPR活動は、妻と二人の息子たちの独断で行われたものだったのです。

そして、策略は大成功し大きく業績アップに貢献しました。

さらに、カール・ベンツの妻は1人でドライバー、メカニック、広報を勤め上げ、ベンツ&シー社の人気の輪を広げる基盤を作り上げました。

ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社黎明期、モータースポーツを通じて

一方で、「自動車」の特許で後れを取った、ゴッドリープ・ダイムラーは、天才技術者ヴィルヘルム・マイバッハと、オーストリアの企業家エミール・イェリネックの支援を受け、モータースポーツで力をつけて行きました。

1900年、現在の数々な名車たちの原点となる「メルセデス 35PS」が誕生するに至りました。

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https://www.mercedes-benz.com/en/mercedes-benz/classic/museum/legend-2/

この時、「ダイムラー」ではなくて、「メルセデス」という名前にしたのは、ダイムラーの販売を担当していた、イェリネックの考えで、車は堅苦しい名前ではなくて、可愛らしい女性の名前でなくては、人々から愛されないという考え方の元、彼の娘の名前をそのまま車の名前にしたそうです。

この思惑は大正解だったと言わざるを得ません。見事に世界中で今日まで愛されている名前です。

意外かもしれませんが、「ベンツ」と呼ぶのは日本だけで、海外では「メルセデス」もしくは「メルセデスベンツ」と呼ぶのが一般的です。

「メルセデス」という女性の名前は「神のご加護」という意味を持つスペイン語なのだそうです。

この「メルセデス35PS」は当時の車のスピードの常識を大きく打ち破る、驚異の最高速度90km /時を叩き出し、モータースポーツで連勝、「メルセデス」の名前が世界中に知れ渡ることになりました。

この時、マイバッハが作り上げた、メルセデス35PSは、それまでの腰高なエンジン付き馬車から、現代的な自動車の原型となるデザインとフォルムを生み出した瞬間でもありました。

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メルセデスベンツの歴史、ダイムラー・ベンツの誕生。

メルセデスベンツ、スリーポインテッドスターの秘話

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https://www.mercedes-benz.co.jp/passengercars/english/toppage.html

メルセデスベンツを象徴する高貴で重厚感漂うエンブレム、「スリーポインテッドスター」

スリーポインテッドスター=ベンツというイメージが定着していますが、そこに込められた思いはとても切で素晴らしいものです。

1909年ゴッドリープ・ダイムラーが愛する妻へ一通の絵手紙を送りました。

スリーポインテッドスターの絵が描かれ、

この星がいつか私の工場の上に輝いて成功を祝ってくれる

という言葉を添えられていたそうです。

今では世界最高の自動車メーカーとなったメルセデスベンツですが、始まりは1人の男のロマンを追い求める努力がキッカケでした。

当初は無名であり、自動車文化の根付いていない環境で会社を大きく発展させることは至難の業であったでしょう。

そんな苦労のある中でもゴッドリープ・ダイムラーは、必ずやいつの日にか「スリーポインテッドスター」が自分たちの成功を祝ってくれると心から信じていたのです。

彼の死後、ダイムラーの意思を受け継いだ息子が父の思いのこもった「スリーポインテッドスター」を商標登録を行いました。

スリーポインテッドスターのそれぞれ先端には「陸・海・空」の意味があり、それぞれの分野で事業繁栄することへの願いが込められています。

「ダイムラー・ベンツ社」の誕生

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https://www.mercedes-benz.com/en/mercedes-benz/classic/museum/mercedes-benz-model-ssk-sports/

その後、1926年第一次世界大戦による敗北で、貧困問題にドイツは悩まされ、カール・ベンツとゴッドリープ・ダイムラーそれぞれの会社も経営難に陥ります。

「輸入車の攻勢に立ち向かおう」と一致団結を心に誓い、ベンツ&シー社とダイムラー・モトーレン社は手を取り合いました。

高性能エンジンの強みを持つダイムラー社と、実用性を重視するベンツ社がタッグを組み、世のため人のためとなる最強の車の製作と、ドイツの再起のため立ち上がりました。

これが「ダイムラー・ベンツ社」の誕生です。

2人の天才の名前が付けられた新会社ですが、この当時2人はすでに他界しており、実際に会うこともないままだったそうです。

その時に現在も使われている「メルセデス・ベンツ」のブランド名を、全ての車名として使用することが決まったそうです。

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メルセデスベンツの歴史、クライスラーとの合併を経て、ダイムラーへ

メルセデスベンツ、「シルバーアロー」の誕生

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https://www.mercedes-benz.com/en/mercedes-benz/classic/museum/mercedes-benz-w-125-750-kg/

1934年に、今なお伝説として長く受け継がれるメルセデスW25「シルバー・アロー」が誕生しました。

この銀色に輝く、シルバーアローが誕生したきっかけは、全くの偶然、しかもミスから生まれました

当時レースに参加するべく満を辞して計量に臨んだ、シルバーアローが、なんと計量乾燥重量750kgを1kgだけオーバーしていたことがきっかけだったそうです。

完全な設計ミスでしたが、その1kgを削ぎ落とすために、文字通り、仕上げの白塗装を削ぎ落とし、750kgちょうどでなんとか計量をパスしたそうです。

それが、シルバーアローが偶然生まれた瞬間でした。

銀色に輝く車は、他のライバルたちの追従を許さなかったそうです。

メルセデスベンツの安全性能の開花

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https://www.mercedes-benz.com/en/mercedes-benz/classic/museum/mercedes-benz-300-s-convertible-a/

第二次世界大戦前後、当時は、先進国による国民車構想の中であり、車業界がまだまだ真新しい時代の中、自動車文化や産業を確立していきました。

メルセデスベンツは、今日に至るまで、自動車文化に革命を起こし続けて成長が留まることを知らず、ラグジュアリーで憧れの高級感を持ちながら、実用性や安全性能にもかなり富んでいます

このメルセデスベンツの実用性や安全性能には、カール・ベンツとゴッドリープ・ダイムラーの他に、一役買った天才の力がありました。

それはオーストラリア=ハンガリー帝国出身で「ミスターセイフティ」とまで言われた天才技術者ベラ・バレ二ーでした。

彼は当時「安全機能」という概念がなかった自動車に対して、

自動車は安全な乗り物でなければならない

と唱え続け、世の中に「自動車の安全性」という概念と革新的技術を続々と生み出しました。

メルセデスベンツは事故が起きてもドライバーや乗車者の死亡事故はほぼないと聞いたことがあります。

安全性能から家族や一緒に乗る人を思い、メルセデスベンツを選ぶドライバーが増えています。

とても大きな信頼を受けているメルセデスベンツの安全性能の始まりは、世界初の試みから繰り返し行われたクラッシュテストなど先駆者の努力がありました。

1951年にボディのフロントとリアを潰れやすくし、形状不変の車内空間を確保する世界初のセイフティシャーシを開発に特許を取得しました。

これが現在もほとんどの車のボディに使用されている、「モノコック構造」と呼ばれる構造で彼が生み出した特許技術の一つです。

彼が車に関して取得した特許技術の数は2500以上に上るそうです。

その後もこだわりと研究は続き、ダイムラー・ベンツ工場のある、ジンデルフィンゲン周辺で起こったメルセデスベンツ車の事故に対して調査チームを派遣し、原因分析とデータ収集することを試み、現在までに4200件以上の調査を行い続けているそうです。

メルセデスベンツの安全性能は、クラスを超え追求した設計思想を一貫して共通し、追突安全性と居住性を高レベルでバランスのとれたレイアウトを今日まで実現しています。

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https://www.mercedes-benz.co.jp/passengercars/the-brand/history/events.module.html

戦後からクライスラー社と合併

第二次世界大戦中、ナチスドイツに協力し、戦闘機のエンジンや軍用車の生産を請け負っていたことで、終戦間際の、アメリカ軍による爆撃の標的となり工場が焼け落ちました。

また、戦後も、強制労働者への莫大な賠償金など、会社として疲弊しきってしまいました。

そんな中で、1952年、ダイムラー・ベンツ社の復活を印象づける、プロトタイプレーシングカーとして開発された300SLが、ル・マンやメキシコのカレラ・パナメリカーナを初め、世界のあらゆる大会で、成功を収めます。

この車は初代シルバーアローの後継として、製作されました。1951年世界のモータースポーツへの復帰を認められてから、わずか一年での見事な返り咲きでした。

この車を生み出した、技術者ルドルフ・ウーレンハウトが戦後の、ダイムラー・ベンツを技術的にリードしていきました。

一方で、デザインの方は、1958年にイタリアから、カーデザイナーとして、ブルーノ・サッコがやって来ました。

彼が、1999年に退くまで41年に渡り、メルセデスベンツのデザイン哲学を新たに作り上げました。

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引用:https://www.daimler.com/company/tradition/company-history/1960-1980.html

彼がデザインした、1979年発表のW126型Sクラスは1980年以降から現在に至るまで、メルセデスベンツのデザインを決定づけるものとなりました。

今でも彼の名前は、「サッコ・パネル」として、メルセデスベンツ車の部品の名前として残っています。

クライスラー社と合併を経て、ダイムラーへ

1998年11月にアメリカ三大自動車メーカーのひとつでアメリカ合衆国ミシガン州オーバンヒルズにある「クライスラー社」を吸収合併、社名が「ダイムラー・クライスラー」になりました。

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引用:https://www.daimler.com/company/tradition/company-history/1995-2007.html

この時、70年以上続いた「ダイムラー・ベンツ社」は歴史から退くことになりました。

この後クライスラーの業績が伸び悩み、2007年に「クライスラー社」は、投資会社に売却され、社名が「ダイムラー社」となりました。

社名「ダイムラー社」ブランド名「メルセデスベンツ」となり、現在まで至っています。

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引用:https://www.daimler.com/innovation/case/electric/battery-cells.html

メルセデスベンツ社の歴史は、車の歴史そのものとも言えますね。

この社名に残る2人の天才が、お互いを知らない中で、同じ時代に、ごく近所で、同じ方向を向いて、今日の「自動車」の基礎を作り上げたというのは、運命のいたずらを感じずにはいられませんね。

アイキャッチ画像引用:https://www.mercedes-benz.com/en/mercedes-benz/classic/museum/mercedes-benz-300-sl-coupe/

この記事を書いた人

ミラノ太郎
子供の頃から、車のデザインが大好きで、気に入った車があると、見入ってしまう癖があります。かっこいい車を見ているとわくわくします。1950-70年ごろのドイツ車のデザインが最高と思っています。



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